国際協力体験を通して見えてきたもの(2)|エンチャイルド理事長ブログ

国際協力体験を通して見えてきたもの(2)

異文化の壁を超え、相互理解と協働を可能にする秘訣

■グローバリゼーション

 ニュースの賞味期限が短い。2016年は、内外の情勢がいつにも増して目まぐるしい、と感じる年だ。頻発するテロの脅威は最早遠い異国だけの心配事ではない。他国の国民投票結果が自国の未来に少なからぬ影響を及ぼすことも私たちは分かっている。若者の内向き志向と投票率の低さは、わが国の未来を一層不透明なものにしている。
 使い古された感はあるが、あえて筆者は2016年を理解するキーワードとして「グローバリゼーション(グローバル化)」に注目したい。グローバリゼーションは意識をより外へと向けさせるが、同時に、世界を意識すればするほど、自国への強い意識が呼び起こされてくる。他者との出会いは、自己を意識する起点でもある。区別は差異への認識から生じるからだ。些細な違いが大きな葛藤や摩擦に転じることも少なくない。「話せば分かる」とは、昭和7年(1932年)の「五・一五事件」で反乱将校たちに殺害された犬養毅首相の有名な文句だが、言葉の通じる相手であっても分かり合うということは簡単ではない。ましてやすっかり出来上がってしまった民族や国家の垣根を超えることの難しさは何をか言わんやである。外を意識すればするほど、内との境目が際立ってくる。
 今や世界の国々は、膨れ上がる自意識とグローバリゼーションとのはざまの相克にさいなまれ、そのストレス症状は政府の次元から国民のレベルにまで広がっている、それも全世界同時多発的に。グローバリゼーションは、とりわけ冷戦終結後に加速したとみることができるが、この四半世紀の間、それと背中合わせの格好で宗教や民族、国家間の軋轢は常にうごめき、四方八方にその触手を伸ばしてきた。

■「9・11」の衝撃

 2000年ニューミレニアムの到来は、地球共同体社会実現への夢を膨らませるのに十分なムードを醸成してくれたが、人類の夢心地は長くは続かなかった。
 2001年9月11日、米国同時多発テロの衝撃が世界を襲った。世界貿易センタービル・ツインタワーの崩落シーンはその後長く続くことになる世界のコンフリクト(葛藤)ののろしのようでもあった。
 この日、筆者は中国での国際協力活動を終えて帰国した。心地良い疲れとともに帰宅したはずであったが、その夜はテレビの前にくぎ付けになり、初めての国際協力体験を感慨深く振り返るどころの話ではなくなった。何度もくり返し映し出される世界貿易センタービルへの旅客機の衝突と一気に崩れ落ちていく超高層ビルの映像が、ハリウッド映画の一場面のように脳の中枢深くに沈殿していった。
 しかし、当時の筆者には、その後訪れる混迷の世界を脳裏に描き得る想像力はなかった。目の前で展開するニューミレニアムの理想が打ち砕かれていく、その姿は映像の中の出来事であって、自らの現実の生活とはおよそ程遠いもののように感じていた。

■不可欠な相互理解と協働のプロセス

 国際協力は、異文化理解に始まり、異文化理解に終わると言っても過言ではない。異国の人々を助け、支えようとすれば、その国の社会、歴史と文化・生活様式との接触を避けることはできない。それが経済援助を主な目的とするものであったとしても、である。国際協力が持続的に行われ、課題の解決に至るためには相互理解と協働というプロセスが不可欠である。支援は受益者の依存性を助長したり、固定化させたりするものではなく、自助の力と自立性を促進化するものでなければならないと考えるからだ。受益者は同情を求めているのではない。彼らは支援を必要としているのだ。支援者と受益者は上下の関係ではなく、横の関係である。だからこそ、相互理解と協働のプロセスを無視してはならないのだ。水平の関係の中でなされる行為が国際協力であり、支援である。しかし、言うは易しである。そのような考えと行動を実践することは簡単ではない。筆者自身、このシンプルな一つの原則にたどり着くまでに長い時間と道のりを要した。

■多文化の共生を可能にするもの

 国際協力活動の最終ゴールはどこか。課題解決の向こう側にあるものは何か。異文化の共存が終着点なのか。国境を超えた支援の目的は、多文化の「共生」にあると筆者は考えている。もちろん多文化が共生することは容易ではない。今日、グローバリゼーションが進む世界で誰もが実感しているのが異文化の壁、相互理解の困難さである。何千年の歴史を共有してきた隣国とでさえ、理解し合うこと、共に生きることの難しさは周知のとおりである。国際協力の道もまたしかり。
 では、どのようにして共生の道を開くことができるのだろうか。違いよりも共通点に目を向けてはどうかという考え方もある。それで物事が進んでくれれば話は早いのだが、事はそう単純には運ばない。先に進めば進むほど、付き合いが長くなればなるほど、求められる相互理解の度合や基準も高く、そして深くなる。
 異文化間の相互理解のプロセスには文化の和合が不可欠である。和合は「同化」を意味するものではない。和合とは、互いの主体性を堅持したまま協調し、水平の関係を保って調和することである。文化の問題は文化で解くしかない。交流を通じて互いが水平に和する努力を重ねることで、新たに多文化共生の文化を生み出し得るのである。人間の本性にはそれを可能にする情愛と創造性があると信じる。和した関係の深化によって見いだされた文化こそ、多文化共生の苗床となる。

2016.07.19 | このブログの読者になる更新情報をチェックする
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